わたしたちの校歌

 今歌っている平米小学校の校歌は、どなたが作られたものか知っていますか。作詞は、小林守直、作曲は、室崎琴月と言う人です。作詞の小林守直さんは、平米小学校第三代目の校長先生です。作曲の室崎琴月さんは、高岡(木舟町)の生んだ大作曲家です。末広坂下小公園に流れる「夕日」のメロディで全国的にも有名な作曲家です。琴月さんは、東京で音楽の勉強をしているときでも、いつも心の中は、ふるさと高岡のことでいっぱいだったそうです。そして、古城公園から見たうつくしい夕日を心にえがきながら、「夕日」の曲を作られたのだそうです。

 さて、昭和四年の夏のこと。
 琴月が、ふるさと高岡に帰ってきて、ひさしぶりに両親とくらし、親せきや友だちなどにも会って、なつかしいひとときをすごしていたときのことです。
「室崎さん、この詩に曲をつけて、平米小学校の新しい校歌を作ってはもらえないでしょうか。」
 平米小学校の小林校長先生が、校歌の作曲をたのみに来られたのでした。
 琴月は、さし出された詩を読んでみました。
「わたしは、平米小学校の子どもたちに、平米っ子として、こうなってほしいという願いをこめて、この詩をいっしょうけんめい書いたのだが――。」
 小林校長先生の言葉に、琴月は、大きくうなずきながら、何度も読みかえしました。外からは、子どもたちの元気に遊ぶ声が聞こえてきます。
 しばらくして、琴月は、ゆっくり顔をあげ、校長先生の目をしっかり見つめて力強く言いました。
「わかりました。平米小学校の子どもたちが、正しい心、やさしい心、雄々しい心をもって育つことを願って、なんとか、作曲してみましょう。」
 しかし、校歌の作曲は、そうかんたんではありません。なにしろ、一年生から六年生までのたくさんの子どもたちが歌うのですから、おぼえやすく、歌いやすいメロディでなくてはなりません。それに、そつ業した後、おじいさん、おばあさんになっても、懐かしく口ずさむものです。そつ業生のだれもが歌い、ずっと歌い続けられるのですから、うつくしいメロディで、いつまでも愛されるものでなければなりません。そしてなによりも、詩にこめられた気持ちを曲で表さなければならないのです。
 琴月は、何時間もへやにこもって、食事や、ねる時間もおしんで、曲を作りました。そして、作っては直し、作っては直しと、気にいる曲ができるまで、ピアノの前からはなれようとはしませんでした。あまりのねつのいれようで、かぞくが心ぱいするほどでした。
「お父さん、体でもこわしたらどうするのですか。」
と、おもいあまって、むすめの信子が聞きました。すると、琴月は、
「わたしは、みんながよろこんでくれるのが一番うれしい。そのためには、みんなの心にいつまでものこって、みんながよろこんで歌ったり聞いたりしてくれるような曲を作りたいのだよ。」
 そう言って、また、ピアノに向かい、五線に音ぷを書きつづるのでした。

参考文献
  • 教育と文化富山県教育委員会
  • 道徳郷土資料Ⅰ高岡市教育センター
  • とやまのこころ富山県教育委員会
  • この道一筋室崎信子
  • 郷土教育資料Ⅳ富山県教育委員会
  • 創立八十周年記念誌「おおとり」高岡市立平米小学校