わたしの金子みすゞさん

2013年カレンダー「金子みすゞの詩を木版画に・・・」に寄せて

第64回全国カレンダー展日本印刷新聞社賞受賞

2013年は、金子みすゞさん生誕110年にあたります。

私にとっては、みすゞ版画の第1作目から15年、みすゞカレンダーは10冊目となりました。

今回のカレンダー、当初、自分の中では10冊目ということもあって、これまで制作した百余りのみすゞ版画の中から自選のものでまとめてみようと思っていました。そのためでしょうか、みすゞ版画の制作は暑い夏が訪れても、なかなか新たな作品は仕上がりませんでした。実際は、2012年の前半、思いがけず海外制作の機会に恵まれたり、県外展示の機会をいただいたりと、自分の力を超える貴重な機会にめぐり合えたこともあって、精一杯だったこともあります。

それでも、さすがに夏が終わっての初秋、いよいよカレンダーに取り掛からなければと思っていた矢先、数人の方から予約や楽しみにしているお便りをいただきました。私のカレンダーでも心待ちにして下さっている方がおられるのだと思うと、やはり新作を入れなければと、にわかに気持ちが高まりました。そうしてまだ形になっていなかったものですが、思いをふくらませていた10作が、ふしぎなことに一気に生まれ出てきたのです。とは言っても、下絵、彫り、刷り、裏彩色の工程を経て、作品として仕上げるには、全く時間的余裕はありませんでした。ぎりぎりになってようやく、新作中心としたみすゞカレンダーが出来上がってほっとしました。

表紙にもなっている「障子」は、私のお部屋そのものです。障子を張り替えるたびに幼い頃の思い出がよみがえってきます。だから、みすゞさんの「障子」の世界も懐かしく共感できるのです。算数の苦手だった私、2月に入れた「ねがい」は、まさに私の子ども時代の願いと重なります。5月の「美しい町」、9月の「お嬢さん」、12月の「女の子」なども、昔のあのときの気持ちが呼び起こされるのです。今回取り上げたみすゞさんの詩は、どこかなつかしさがあって、子どもの頃の自分に返れるものが多くなったような気がします。

初めてまとめたカレンダーは10年前の2003年カレンダー。和紙に手刷りで、それを手前で綴じた本当に手作りのわずかな部数でした。その後、原本を作って手前で印刷して綴じたものになりました。一年間のお礼のつもりで制作したものでしたが、徐々に希望下さる方も現れて、今は、原本を作ったら印刷会社さんにお願いしています。

そして10冊目となる今回の「2013年カレンダー 金子みすゞの詩を木版画に・・・」は、うれしいことに、第64回全国カレンダー展にて、第2部門の銀賞ならびに日本印刷新聞社賞をいただくことができました。私の拙いモノクロカレンダーが受賞するなど思ってもみなかったことです。出品下さった(株)山田写真製版所さんに深く感謝いたします。ありがとうございました。これを励みに、もう一度、心を原点に戻して、新たに歩み直したいと思っています。

2013年1月 水上 悦子

みすゞ版画「こだまでしょうか」

みすゞさんの詩に心癒され、救われ今の自分が居ます。
みすゞさんの詩はどれもそんなに力強い詩ではありません。でも、心折れそうになっているときには、ほっと安堵感がもらえ、ほんのちょっぴりだけなんだけど、気持ちを生きる方向へと向けさせてくれる不思議な力をもっているのです。辛いときこそ、悲しみの中にいるときこそ、みすゞさんの詩は心に染み、ほんのちょっぴり力を与えてくれるのです。
そんなみすゞさんの詩のひとつ「こだまでしょうか」が、東日本大震災関連で話題となっています。
みすゞさんの心がこだましあい、再び広がりをみせているのは、今たいせつなことは何かを気づかせてくれているのだと思います。

詩から浮かんでくるイメージを私なりの木版画で表現してきて10年以上となりました。みすゞさんの誕生日に合わせての展示と朗読会を重ねることで、一人でも二人でも、みすゞさんの詩の世界に触れることができ、心癒され、明るいあしたを描いて生きる人が増えますように願って、これからもみすゞ版画を続けていきます。

2012年カレンダー「金子みすゞの詩を木版画に・・・」によせて

 

2011年は、再びみすゞさんの詩が、多くの人の心を捉えることになりました。大きな悲しみに出あったとき、心に痛手を負ったとき、みすゞさんの詩はそっと心に寄りそってくれる。普段何もないときはそれほど心に染みていなかった詩が、すうっと入ってくる。

「こだまでしょうか」は、4年前の2007年に版画にしていた。母を亡くした翌年、母を想う気持ちが強くなり始めていた。・・・そうしてあとでさびしくなって/「ごめんね」っていうと/「ごめんね」っていう//こだまでしょうか/いいえだれでも
親孝行したいときには親はいずとはよく言ったもので、母へのわだかまりは消え始め、母の気持ちが少しずつわかるようになっていた。母は「ごめんね」って言ってくれるだろうか、そんな思いで塞ぎこみがちになっていたとき、「いいえ、だれでもそうなのよ」と言ってくれたみすゞさんのこの詩に、私はどんなに心を救われたことだろう。

そして今年、みすゞさんの「こだまでしょうか」は、やさしい心がこだましあって、本当に多くの人々の心を癒し、励ましてくれた。これまであまり気に留めてもらえなかった私の版画のこだまちゃんも、今年は、「あっ、これ・・・」って、足を止めて見てもらえていた。

夏が終わり秋に入ると、みすゞカレンダー制作構成の時期になる。その年の新作が中心なのだけれど、今回はこれまでの中からどうしても入れたいものがあった。「こだまでしょうか」と、みんなで歩んでいこうと呼びかける「このみち」の二作。当初は「こだまでしょうか」を3月に入れようと思っていた。けれど、いざ並べてあれこれ考えていると、あまりにも大きな悲しみを再び思い起こすことに心が痛んだ。結局一年の振り返りに差しかかる11月に自分としては落ち着いた。かわって3月に入れた「喧嘩のあと」の次は、やっぱり「なかなおり」だろうか、と、初期の作品「なかなおり」も入れることにした。そして「このみち」はお盆を迎える8月に。他にも今回はぎりぎりまでいろいろと思い悩んだ。

みすゞ版画の一作目から13年、シリーズとして10年が過ぎ、わたしのみすゞ版画は、いつの間にか百になった。いえ、まだ百というべきか・・・。これまで何度か人から「もう、みすゞから離れて、自分の世界を築いたら・・・」と言われた。でもどうしても離れることができなかった。振り返れば、いつもみすゞさんの詩が、私の心を救い、癒し、寄り添ってくれていた。512編をはらはら読み返していると、そのたび新たに感じ入るものがあったり、より深く響いてくるものがあったり、さっと描けてくるものがあったりして、版画にしてみたくなるものが出てくるのだから仕方がない。第一、私にとって、みすゞさんの詩は、私を再び生きる方向へとベクトルをほんのちょっぴりずつだけど、変えてくれた命の恩人のようなものなのだから。これからも、みすゞさんの詩と共に木版画を続けていくつもり。みすゞ版画の中にも自分を築いていきながら。そして、私がみすゞさんの詩に心癒されたように、私の版画がたったひとりでいいから心に響くものであってくれたらと願いつつ。

みすゞ版画は、私のライフワーク。

2011年12月 みずかみ えつこ

小さな木版画展~2011みすゞカレンダーより~

 

ご覧いただきありがとうございました。

カレンダー「金子みすゞの詩を木版画に・・・」は、2003年カレンダーからはじまり、一度だけ作れなかった年を除けば、毎年続けてこれた。今回も今年制作したみすゞ版画の新作をもとに来年のカレンダーとしてまとめることができ、私の1年が終わろうとしている。

みすゞさんの詩を初めて木版画にしたのは12年前。

何もかもうまくいかず、努力が形となってなかなか見えてこなくて、どうして、なんで、ともがいていたとき。初めて依頼された色紙版画。意向をたずねて心に響いたのが、「なにか、いい言葉が入っていたら」だった。胸のうちにあったみすゞさんの詩「ほしとたんぽぽ」の一節がすぐに浮かんだ。「見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」それは、まさにその時の私の心の叫びだった。版画にした。それがわたしの「みすゞ版画」第一作目となったのだが、この時はシリーズとして制作していくことになるとは思ってもいなかった。

みすゞさんの詩との再会は、その二年後。

仕事、子育てに悩み、母親失格の自分を責め、自分など居てはいけない存在なんだと消え入ることばかりを考えていた。涙の止まらない日々。そんな折、大阪の詩を朗読する方から思いがけぬ電話があった。嗚咽しか出ない私の対応に彼女は、「つらいのね」と言って一時間ばかり自分の辛かった時のこと、今も大変な状況を、ただただ話してくれるのだった。そして、最後に「あなた、みすゞさんの詩、好きだったわよね。”わらい”っていう詩、読んでごらんよ」といって電話を切られた。こんな詩だった。「それはきれいなばらいろで、/けしつぶよりかちいさくて、/こぼれてつちにおちたとき、/ぱっと花火がはじけるように、/おおきな花がひらくのよ。//もしもなみだがこぼれるように、/こんなわらいがこぼれたら、/どんなに、どんなに、きれいでしょう。」

本当に、今、とめどもなくこぼれ落ちるこの涙が、わらいであったなら、どんなに、どんなにいいことだろうかと。同時に、みすゞさんはもっともっとつらかったんだ。辛さを分かち合える友を得たようだった。版画にした。制作しているときだけが何もかもを忘れさせてくれる時間となった。娘も心を病んでいた。私は仕事を辞めた。みすゞ版画が一作一作と僅かずつだが、仕上がっていくうちに、いつの間にか、娘も私も山を越えていた。

その後やってきた大きな山にも、今、ようやく越えられたかなと思えるようになってきた。

私には、ほんとに、みすゞさんの詩と版画があってよかった。そして、娘がいてくれて。

みすゞさんの詩に、心救われ、癒され、私なりの木版画の世界に表現し続けることで、見失った自分自身を取り戻すことができたように思う。みすゞ版画をシリーズとして制作はじめて10年。第一作目からは12年。来年、百作にとどいたら、一度振り返ってみるときなのかもしれないと思っている。

みすゞ版画は私のライフワーク。

2010年12月 みずかみ えつこ